笑顔流誕生の物語

笑顔流誕生の物語

小さな頃から、ずっと、字が上手く書けないことを恥ずかしく思っていました。そんな人間が、筆文字の教室をさせていただくなんて、人生は本当に不思議です。

けれども、書けない人の気持ちが分かる分、丁寧に、お一人お一人に寄り添った形でお伝えできるように心がけています。

筆文字を始めた理由。

1972年8月11日大阪で生まれました。何をやっても不器用で、友達をつくるのも下手な少年で、一人でいることが多かったです。

父が早くに死んでしまったので、母は働きっぱなしで家にはほとんどいませんでした。

3つ下の妹の手を引いて保育園のお迎えをしたり、ご飯をつくったりしながら、父が死んだ日に言われた「これからはお前がお父さんの代わりになれ」という言葉を噛みしめていた日々。

妹は心細いせいか、よく泣きました。けれども、何をしても慰められず、途方に暮れた切ない日々を思い出します。

とんちんかんな少年

運動も勉強も苦手で、反応もとんちんかんで、手間がかかる子だったようです。先生も困らせてしまったようで、怒鳴られたり立たされたりしました。

特に、小学校の書道の時間では、先生によく怒られました。

中学、高校ではサッカーをしていましたが、補欠にもなれないようなレベル。

18才の頃にはサッカーでの挫折をはじめ、色々な失敗から、何もかもが嫌になってしまいました。

そして、人生をやりなおそうと北海道に移ることに。

それでも、何も上手く行くわけもありません。仕事を転々を変えながらやぶれかぶれな生き方をしていました。

最後の挑戦と気合をいれた、独立開業も上手く行かず、お金も無くなり途方に暮れた時に、「ハガキを書けば必ず人生が上手く行く」という話を聞いたのです。

営業活動がまったく上手く行かなかったので、これしかないと思い、ハガキを書き始めました。

けれども、自分の字が、どんなに頑張っても汚くてみすぼらしので、何とかならないかといつも思っていました。

そんなある時のこと、とっても大切な親友が突然死してしまいました。

すごく落ち込んで、どうしていい分からず、自暴自棄にもなり、一時は廃人同様の生活をすることに。

けれども、残された自分がすべきことは何だろうと思っていた時に、どうせなら汚いけれども味のある筆文字でハガキを書いて元気や感謝や笑顔を届けられたら良いかもしれないと筆文字を始めました。

そうすれば、不器用で何も出来ない自分でも、少しは友人の死の埋め合わせになるかと思ったからでした。

教室を始めた訳

友人の死を無駄にはしないと思って、ひたすらに筆文字ハガキを書いていると、数年後に「教えて欲しい」という方がぽつぽつと現れ始めました。

落ちこぼれのごまかしだらけの下手な字を覚えたいなんて、心底ビックリしましたし、教えるのは無理だろうと思っていました。

けれども、その一方で、筆文字でハガキを書いているうちに、自分の人生がどんどん変わってきていました。自営業の仕事も低空飛行ながら、何とか食べさせていただいて、結婚させていただいて、子供にも恵まれました。

人生に希望を見いだせる筆文字

こんな人間でも、人生に希望を見いだせたのだから、もしかしたら、他にも悩んでいる方のお役に立つかもしれない。これが、教室を始めた理由です。2011年10月17日が第1回目の教室でした。

それから、2021年で10年が過ぎようとしています。教室は、広告宣伝をしませんでしたが、口コミで日本全国に行かせていただき回数は1000回以上、ご参加の方は累計で1万名さま以上になります。

教室で目標にしていることは、受講された方がご活用下さって、人生に良い影響が届くことと、必ず、毎回、毎日、進化を続けることです。

生徒さんからは、続々と、筆文字で喜ばれた、人生が変わったというエピソードを数多く届けてもらい。これまでの人生が嘘のような奇跡のようなありがたさにあふれました。

字が汚い筆文字書家

教室を通じて、感動のエピソードが集まるにつれて、教室を知らない人にも、ずっと先の世代の人にも、この筆文字を知っていただくことを考えるようになりました。

世の中には、これからも、ますます、人が孤立したり、対立して、悲しい事件が増えていくように思えたからです。

笑顔流と出逢うことで、少しでも、痛みや悲しみが癒されて欲しいと思ったのです。

そこで、笑顔流という書道体系を確立するために、より広く深く世の中に名を刻むために書家活動を始めることにしました。

けれども、正直、書道で落ちこぼれた私が書家を名乗ることになるとは夢にも思っていませんでした。

正式の書道の修行をしたことはありませんが、人の心と心をつなぐ筆文字への取り組みには人生をかけてきたので、心温まる素朴な作品を生み出すのならば、許されると勝手に思っています。

そして、自分が輝くのではなくて、誰かが花を咲かせお手伝いをする書家でありたいという想いから、人の花を咲かせる「泥海」とさせて頂いてのでした。

出逢い

筆文字書家として活動させて頂いている中で、一番の思い出は、震災でお嬢さまを失ってしまったお母さんとの出逢いでした。

「震災から何年たっても心が晴れない、後悔しかない、3月11日が人生で辛い」というお話を教室の合間にお聞きして、好きなことばを書にしてプレゼントさせていただくことにしたのです。

ささやかでも喜んでもらえたらと思っていたのですが、いただいたご感想に驚きました。

「娘が、作品の中の観音さまになって、励ましてくれた気がした。お花とお地蔵さんに囲まれて穏やかに過ごしているように思えた。私も、これから頑張らないとと思えた」

その言葉を聞いて、背中を、強く押された気がしました。こうして、天国のお嬢さんと心がつながったと感じて下さる方がおられるのは自分にとって奇跡。

もっと、もっと、頑張ろうと思える出逢いでした。

お母さんから頂いたメール。

一縁一心地蔵文字

2021年の年明けはコロナウイルスの再拡大、オリンピック中止の可能性など、暗い雰囲気が世の中を包みました。

教室も、1年近く、中止と延期が続いていて、何か自分にも出来ることはないかと考えて、たどり着いた答え。

それは、震災の犠牲者の方々へ、毎日100人分、100枚の追悼ハガキを50日間、トータル5000枚を書き続けて達成するというものでした。

このチャレンジを通じて、生徒さんや、お世話になった方々、震災で心苦しんでおられる方々に、何か温かいものを届けたいと思ったのです。

毎朝、3時に起床して、トイレ掃除、般若心経、観音経の詠唱をしての50日間は、あっという間のような永遠のような不思議な感覚を感じました。正直、何度も、机に倒れ込みながら、支えていただいては、気を引き締める毎日。

結局、3月10日に挑戦を達成し、北海道新聞が取り組みを紹介して下さいました。

このチャレンジで生まれたのが、一縁一心地蔵文字です。5000枚すべてのハガキに、お名前、ありがとう、お地蔵さんを書かせてもらっているうちに、お地蔵さんが字の中にも登場し始めたのです。

お地蔵さんは、平安時代から日本人に愛され、どんな夢も叶えてくれると信じられてきました。特に、幼くして亡くなったお子さんを守る存在として、全国各地のお寺や道端や町村の境目に祀られています。

一縁一心の意味は、人々の心が「おかげさま」「ありがとう」「喜んでもらいたい」という気持ちでつながれば、きっとよりよい世の中に変えていけるという願いが込められています。

笑顔流が目指すもの

筆文字との出逢い、沢山の方と出逢い、嬉しいエピソードを沢山聞いて来た私の目標。

それは、人から喜ばれる筆文字を極め、心ある人と分かち合うこと。

喜ばれる筆文字、笑顔流を通じて、誰もが、周りの人に笑顔と感動を届けられるようにすること。

そうすれば、きっと、今よりも、世の中に明るい明日や幸せが広がります。

そして、今は、悩みや孤独や争いに苦しんでいる人も、きっと、克服して楽しい夢を見て、進んでいくことが出来ると信じています。

どうぞ、お気軽に何でもご相談くださいませ。

笑顔流 泥海こと堀内正己