筆文字の旅~熊本地震の被災者の方々への筆文字笑顔流うちわプレゼントボランティア、子供たちも集まり、喜んでもらえて良かった(2016-04-23)

筆文字の旅~熊本地震の被災者の方々への筆文字笑顔流うちわプレゼントボランティア、子供たちも集まり、喜んでもらえて良かった(2016-04-23)

熊本地震の被災者の方々への筆文字笑顔流うちわプレゼントボランティア。

昨日は朝から宮崎を出て熊本まで往復8時間のみちのりを超えて笑顔流をプレゼントに。その向こうにあった熊本の皆さまの笑顔に胸がギュッと締め付けられるものがありました。

けれども、実は、元々、地震が起きてから九州入りをするまで、熊本には行けないし、行かないと思っていました。奥さんには絶対に危ないことをしないでと言われていましたし、ケガをするようなことは出来ないと僕も正直、考えていたのです。

けれども、大分、宮崎でセミナーをさせていただきながら、これでいいのかなという気持ちが、どんどん大きくなっていきました。

すぐ近くで大変な苦労をされている方がおられるのに、自分はゆっくりご飯たべていていいのかな。1人で食事に行っても、美味しいはずの料理に味を感じなくなり、夜も眠れなくなりました。

間違ってはいない。そう思っても、心の底が納得しないような感じです。そんな中、地震が収まりはじめ、テレビで宮崎熊本間のバスが運行を再開というニュースが出た時に、行けるかもと思いました。

物資は大丈夫だけれど、メッセージを届けて欲しいとの言葉

そして、すぐに熊本市在住の笑顔流受講者さまに連絡したところ、物資は大丈夫だけれど、メッセージを届けて欲しいとの言葉。ある方のお父さまが介護を受けているために避難所に行けず、家がつぶれたらそのまま死ぬんだと言っている話を聞いた時には涙が出ました。

行くしかないと思いました。本来ならば、がれきの撤去や炊き出し、掃除など色々仕事があると思うのです。けれども、僕にできる一番笑顔を届けられることは、やはり笑顔流だと思って、申し訳ないですが今回はこの活動をさせていただきました。

ニュースでは神戸や東北の震災では千羽鶴や寄せ書き、手紙が、ただのゴミになってしまい迷惑だったという話もありました。けれども、それは不特定多数に向けたもので、友人知人からの手紙がゴミになったということではありません。でも、状況が状況なので、もし、ご迷惑なようだったら、すぐにでも中止をしようと思いました。

プレゼントは、最初、色紙を書こうかと思ったのですが、それよりも、車中泊や避難所生活の役にたつようにうちわにしました。閉店間際のダイソーに駆け込み、無地うちわを全部の購入。

夜のうちに、袋から出して、片面にメッセージを入れて、ハンコを押しました。あとは、お名前をいれれば渡せる。その時点で、朝になっていました、急いで片づけをして、チェックアウト、レンタカーに乗って出発しました。

どこまで道が大丈夫なのだろうかと思いながら進んでいくと、高速は八代で通行止め、下道は予想以上の渋滞でした。お昼になって熊本に到着。

震源地に近づくほどにブルーシートに覆われた家が増えていき、中にはビルの1階の柱が折れかかっていて立ち入り禁止になっている場所もありました

震源地に近づくほどにブルーシートに覆われた家が増えていき、中にはビルの1階の柱が折れかかっていて立ち入り禁止になっている場所もありました。車のディーラーの大きなガラスはかなり割れていてブルーシートで補修がしてありました。

いよいよ、訪問開始。最初は、死を覚悟したおじいちゃんの家。おばあちゃんが対応してくれました。そして、色々な苦労もありましたが、笑顔も見せてくれました。一番、印象に残ったのは、以前、あなたにもらった筆文字を見て4秒を数えるの。そしたら、どんなに怒ってても気持ちが収まるのよというお話でした。

車のボンネットでメッセージを書かせていただきました。

次は、笑顔流を活用くださっている美容室さん。建物に入れなかったので、車のボンネットでメッセージを書かせていただきました。その間に、仲良しのお隣さんも合流。皆さんに書かせていただきました。笑顔流を習って役立っているんです。というお話にぐっときました。皆さま、ずっと車中泊とのことでしたが、元気にふるまって下さり、笑顔も見せて下さり、何て強い方々だろうかと思いました。

そして、次にお邪魔させていただいたのが、先日の大分に被災してしまって参加出来なかった方のところ。ご自身も大変な中、ボランティアとして大車輪の活躍をされておられました。周りにはたくさんのボランティアがおられましたが、みなさま被災者の方々でした。大きな避難所、小さな避難所に行かせていただきましたが、子供たちも集まり、喜んでもらえて良かったです。

その方のスマホの待ち受け画面は、先日の大分の受講さまからメールされた笑顔流でした。ぐっときました。

その後、お邪魔させていただいたのが、一番被害が大きかった益城町から避難されている方のいるところ。地震の瞬間は本当に怖かったそうです。お嫁さんが笑顔流を受講下さっていて、いつも届けてくれてうれしいのよとおっしゃっておられて僕も嬉しかったです。こちらでもうちわをプレゼントさせていただきました。ここでうちわが無くなってしまいました。

大きなのが来たら一緒に死ぬつもり

この時点で、すでに夕方。まだ、頑張りたいと思って、最後に、博多で以前受講下さった方のところにお邪魔しました。ちょうど、タイミングが合ったのでお会いさせていただきましたが、大事にしているペットがいるので避難所に行けないとのでした、もし、大きなのが来たら一緒に死ぬつもりとおっしゃった言葉が胸にささりました。

色紙をプレゼントさせていただきましたら、喜んで下さいましたがホンのわずかでも支えになればと願うばかりです。この時点で用意もなくなり終了。

そして、帰り道はまたも渋滞。宮崎に戻ってみたら1時過ぎ。思い切って車中泊をすることにしました。道の駅で寝ようかと思っていたら、暴走族がどんどん集まって大騒ぎ。トイレの心配はありましたが、少し離れた公園の駐車場で少しだけ眠りました。

今は、大分への移動中です。

今回、皆さまが共通して話していたことは、今は改善されましたが、お水がないことでした。そして、ガス。家もいつどうなるか分かりません。本当に、これから、未来のことが何も決まっていない方が多かったです。そんな中でも、助け合い、笑顔で過ごせる強さに打たれました。

最初のおばあちゃんを始め、本当に皆さまが、たくさん、ありがとうを言っておられました。どんな状況でも感謝を忘れなければ、人は強くなれるのかなと思いました。

あと、これまで、このような震災があった時の笑顔流の出番は、安全が確立され、立ち直りの最中からたと思っていました。けれども、今回は、安全が確立されず、物流も届かない。

友人やご家族さまの方がメールやSNSで写真が送れることによって、送る側、届く側の両方に、笑顔や元気が少しかもしれませんが広がったのが良かった

そんな中でも、友人やご家族さまの方がメールやSNSで写真が送れることによって、送る側、届く側の両方に、笑顔や元気が少しかもしれませんが広がったのが良かったと思いました。

けれども、それは笑顔流のおかげではなくて、元々あった、お人柄やご関係があったからだと思います。少しのきっかけにでもなれればうれしいなと思います。

これからも、ご苦難、ご苦労は果てしなく続くと思いますが、また、できることを考えて、行動に移したいと思います。