筆文字教室~笑顔流~南相馬市(2015-12-09)
笑顔流in南相馬。
11月28日(土)は、福島県南相馬市で初の笑顔流でした。主催は津波と原発事故に被災されたナプロアースの池本さん。放射能事故から見事に復活して、現在は、さらに飛躍しようとしています。お仕事は廃車の引き取りとリサイクルです。
そんな池本さんが、故郷を元気づけようと、そして、原発被災地域から、元気を他の地域にも発信できるようにと企画して下さいました。
僕としては、笑顔流を通じて南相馬の方々に周りの人とのつながりを温めるきっかけになれば嬉しいなと思っていました。そして、人を元気にすることを通じて、南相馬の方に自信をつけていただけるといいなと思っていました。
南相馬市、浪江町から、原発のある双葉町の手前まで車で連れていっていただきました。
前日は、池本さんが、時間を割いて、故郷を守ろうとしておられる方々と出逢わせていただいたり、テレビでは決して伝えられない現状を教えてもらいました。南相馬市、浪江町から、原発のある双葉町の手前まで車で連れていっていただきました。
双葉町との境にある浪江町の池本さんのお店は、地震があったその時のままで、今も、片付けも出来ない状況でした。(写真2&4&5&6&7&8)
写真2&7は事務所、写真4はお店です。避難した時のまま時間が止まっています。写真4の奥に池本さんの席があります。
地震の時には、間一髪で津波を逃れたとのことですが、その場所にも連れていっていただきました。津波は最初、雲かと思うくらいに高くもりあがってきたとのことでした。それが、近づくと家々などをなぎ倒すほこりで津波と分かったそうです。寸前まで、津波が迫った時に、一瞬の機転で横道にそれたことで、呑まれずに済みました。
写真5&6は、廃車になった車ですが、残留放射能があるので、誰も引き取り手はありません。
写真8は、お店から撮影しましたが、8という数字の左下に「双葉町」の看板があります。街の境には警察が警戒のために待機していました。この先は、自転車、徒歩、バイクでの通行が出来ません。
今回、笑顔流を開催していただいた南相馬市では、お子さんの多くがお母さんと避難されていて、長期間、別れ別れになってしまったことで離婚も増えているとのことでした。
若者たちは、日当のいい除染の仕事に就く人が多く、手取りの給料の少ない、町の会社やお店の多くは人手不足になっていました。飲食店も人手不足でお店を開けられなかったり、地元の方の予約のみで営業していることもあるとのことでした。
事故の補償も同じ地域の人でも格差があり、人間関係をズタズタにしてしまったとのことです。そして、除染の仕事で町の働き手が奪われ、子供たちの多くが街を去っていました。
国は帰還をすすめています。けれども、場所によってはスーパーマーケットが営業していなかったりと、暮らしには不便が多く、いったん戻っても、再び出て行ってしまう人が殆どのこと。
結果、町の人口の3割以上が除染関係者で、それ以外が、高齢者と町の仕事をしている中高年の人たちとのことでした。
そんなお話をうかがいながら、池本さんと色々と見て回っていると、だんだん日が暮れてきました。けれども、浪江町では、どの家にも明かりが灯ることはありませんでした。お店はコンビニとガソリンスタンドだけが営業していて、除染関係の方が利用しているとのことでした。
暗くなっても、明かりの灯らない家々を見るのは初めてでしたが、人の営みが丸ごと奪われてしまったんだと、言葉にもなりませんでした。
けれども、この故郷を、子供たちの時代には「人が笑顔で暮らせる街にして残したい」という方々と、今回の笑顔流では出逢うことが出来ました。
写真3の方はカクテル全国大会でで日本一になったバーテンさん。業界では、日本中で知らない方がおられないほどの有名人ですが、南相馬に留まってお店から元気と癒しを届けておられます。
そして、当日、来て下さった方皆さま、人生に希望を持っておられて、僕も気合いが入りました。直前まで、心の中では心配もありましたが、温かい字を書きたい、ハガキを書きたい、ご商売に活かしたいなど、夢を聞かせて下さって、元気が出ました。
今回来て下さった方は、池本さんは、もちろん、仙台の橘雅昭さん、これまでに南相馬から仙台に勉強に来られた方からのお手紙で元気づけられた方が多かったです。
そんな皆さんからの希望のバトンがつながって、今回の開催になったことを感じました。
セミナー時間はあっという間に過ぎて、最後の記念撮影も良い笑顔が一杯で、一生の記念なりました。
次回は、来年3月頃に企画して下さっているとのことで、僕も、さらなる成長して訪れたいと思います。
今回、主催して下さった池本さん、お手伝い下さった、小田さん、加納さん、ご協力くださいましたすべての方に、心から感謝をお伝えしたいです。
本当にありがとうございました。